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Translation: Global Outlook::Digital Humanitiesに関するダニエル・オドンネルへのインタビュー

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Bringing Diversity of Experience Together: An Interview with Daniel O’Donnell
(Translated by Dr. Nobuhiko Kikuchi, National Diet Library)

経験の多様性をひとつに:ダニエル・オドンネルへのインタビュー
(翻訳:菊池信彦:国立国会図書館関西館)

※Global Outlook::Digital HumanitiesはADHOにおける最初のSIGです。詳しくは http://www.globaloutlookdh.org/ をご覧下さい。

エルネスト・プリエーゴ:
まずは自己紹介からお願いします。

ダニエル・オドンネル:
私はデジタルヒューマニティーズ研究者で、アングロ・サクソンの研究者です。

最初、私はアングロ・サクソンの言語学者としてのトレーニングを受けました。1989年にトロント大学のセントミカエルカレッジから学士号を頂きました。そこでは英語とケルト学、中世ラテン語を学びました。博士号は1996年にイェール大学で取得しました。古英語の詩の様々な写本に登場する筆写の種類について博士論文を書きました。トロント大学とイェール大学の両方とも伝統的な中世研究を行う大学だと思ってらっしゃるでしょう。確かに語学トレーニングと一次史料の厳密な読解が重視されているところでした。

ただ、両大学ともブサ神父の後を継ぎ、テクノロジーというものの活用を伝統的に目指す大学でした。私は学部生のころに、インデキシングを行うセマンティック研究を初めて行ったDictionary of Old English(DOE)に関わっていました。DOEは、完全にコンピュータベースのコーパスに基づいた最初の辞書でした。1972年にプロジェクトが始まった当初からその様に作ることが決まっていたものです。

イェール大学に提出した博士論文は、実際は巨大なデータベースと言うべきものでした。コーパスの全単文の異形に対して符号化された議論を収録したもので、当時のデータベースプログラム(たしかNotebuilderというものだったと記憶しています)を使ってそれらを書きました。当初、私の指導教官のFred C. Robinsonと私は、博士論文としてそのデータベースを提出しようと考えていましたが、結局はそれほどの価値はないと判断しました。正直なところ、そのデータが分析的な叙述で固められていれば、もっとましな博士論文となっただろうにと思います。

博士論文の研究を続けながら、私は数か所を転々としました。博士論文の大半は、実はアムステルダムの市場の隣に住んでいたころに書いたものです。1994-1995年の1年間ルイジアナ州立大学で職を得て、その後再びヨーク大(1996-1997)にいきました。そして、1997年にレスブリッジ大学に移り、以来その大学にいます。

私のこれまでのキャリアの中で最も面白いのが、何よりアングロ・サクソン研究者として考えられていたのが、その後デジタルヒューマニティーズ研究者に転向したことにあると思います。博士論文の後、私は電子テキストでの刊行を目的に、古英語の詩であるCædmon’s Hymnの編集を始めました。当時(1998年)それを選んだのは、とても短いものでありながら、比較的難解なものだったからです。これは大規模なデジタル編集、特にPiers Plowman とThe Canterbury Tales Projectといった、極めて複雑なテキストを利用するようなプロジェクトが始められていたころのことです。

当時、そういったデジタル版を完成するのには数十年かかるものと考えられていました(し、実際Piers Plowman とThe Canterbury Tales Projectはまだ終わってはいません)。そのため私はCædmon’s Hymnのような“短くて内容の濃い”テキストを選択し、全体の編集作業を完了させることで、電子テキストの編集とはどのようなものかということについての知見を得ることができるのではないかと考えました。編集作業にはしばらく時間がかり、Medieval AcademyとBoydell and Brewerで最後のテキストを公開したのは2005年となってしまいましたが、それは私にとってとても面白い経験でした。

当時、実のところ私はアングロ・サクソン研究者に戻ろうと考え、デジタルに関することから離れようとしていました―デジタル版で刊行することで簡単にもう5年間プロジェクトを継続できることによく不満をもらしていたものです。しかし、そのプロジェクトが終わるにつれ、私は2、3のデジタル関係プロジェクトに携わることになりました。2004年から2006年までは、デジタル技術に関して活発な多くの中世研究者(最初はPeter Baker、Elizabeth Solopova、Mury McGillivray、そしてMartin Foysと、その後James Cummings、Roberto Rosselli Del Turco、Dot Porterらと)とともに、Digital Medievalistの立ち上げに参加しました。そして2005年はText Encoding Initiative(TEI)の委員に選ばれ、その後委員長に就くことになりました。

その2つの経験を経て、私はともに働く研究者らと、アングロ・サクソン研究者としてではなく、――中国研究者やスラブ研究者、古典学者、近代研究者等の――分野を超えた、共通の関心でつながることになりました。ここのところ、文献学者としてよりもデジタルヒューマニティーズ研究者としてのアイデンティティが勝るようになってきたとすら感じています。私は最近ブライトンで開催されたバーチャル考古学カンファレンスのVASTに参加しましたが、その直後にはヨーロッパ文献学会がアムステルダムで開催したカンファレンスがありました。これまで私はVASTには参加してきませんでしたし、ヨーロッパ文献学会を「ホーム」だと思っていました。しかし驚くべきことに、もっとも貢献できたと感じたのがこのときに参加したVASTだったのです。

プリエーゴ:次にGlobal Outlook: Digital Humanitiesについて教えてください。GO::DHはどのようなもので、またどのような考えから生まれたものなのでしょうか。

オドンネル:Global Outlook :: Digital Humanitiesとは、要するに、人文学や文化遺産、芸術に関する研究や教育活動でデジタル技術を活用する研究者や学生による実践あるいはアイデンティティのための、グローバルなコミュニティです。その最も重要な目的は、高所得経済国の研究者と中・低所得経済国の研究者との間のコミュニケーションの断絶を解消させる方法を提供することにあります。

私がGO::DHに関わるきっかけとなったのは、デジタルヒューマニティーズというものを、研究分野をまたがるものとして捉えるようになってきたからでした。その気持ちは今も大きくなってきていますが、それは既に述べたように、中世研究者としてのバックグラウンドを持たないデジタルヒューマニティーズの研究者たちとますます一緒に仕事をするようになってきたからです。

ただ、友人である研究者らの専門があれほど異なっていても、地理的にはそうでもなかったということに、私は徐々に悩むようになりました。概して言えば私は、地図上の横方向の地域、つまり日本、北米、西欧、時々東欧、そして、そう、「左右」からは例外的なオーストラリアとニュージーランドの研究者らと仕事をしてきました。

私にはこれら以外の地域、つまりはアフリカ、ラテンアメリカ、カリブ海域、南アジア、東南アジア等の研究者との接触がありませんでした。です。さらに、Melissa Terrasがデジタルヒューマニティーズの現状をまとめた見事なインフォグラフィックスにもあるように、このことはまたこの分野全体においても真実だったわけです。近年デジタルヒューマニティーズは急速に発展してきましたが、大抵私の場合と同じ様に横の地域とのつながりが密でした。ADHO(Alliance of Digital Humanities Organization)の構成機関は全てその地域からのものですし、またその構成機関の個人会員もほぼ全員がそうです。Terrasのインフォグラフィックスが作られた時には、ブラジルと南アフリカの一機関を除いて、北半球の国々とオーストラリア、そしてニュージーランド以外のものは登場していませんでした。

ですがあの時、私だけがこの問題を考えていたわけではありません。ADHOの構成機関の多くは、例えば「グローバリゼーション」や「南北問題」、「アウトリーチ」といった問題に携わる担当者がそれぞれいました。カナダデジタルヒューマニティーズ協会(CSDN-SCHN)では、Ray Siemensと私がカナダでのこの問題に率先して取り組んでいました。私は自分が編集している雑誌“Digital Studies/Le champ numérique”の使命として、国際化やグローバルなデジタルヒューマニティーズに焦点を当てたかったからというのが理由でしたし、Rayは、Implementing New Knowledge Environments (INKE)プロジェクトの一環として、キューバのデジタルヒューマニティーズ研究者と密に連携して研究を進めている最中だったからでした。

GO:DHが現在のような形になったのは、実に3つの出来事によるものです。最初に、ハンブルクで開催されたDH2012において、私がJieh Hsiang やMarcus Bingenheimer、 Christian Wittern、Peter Bol、Neil Fraistat、Harold Short、そして先述の Rayとの間で、中国や台湾のデジタルヒューマニティーズ研究者と一緒に研究する機会について議論したことが挙げられます。この議論がもとで、GO::DHのメーリングリスト(globaloutlookdh-l@uleth.ca)が作られることになりましたし、Marcusと私がまだ小さなGO::DHの運営を担当することになりました。2つ目は、Neilが私とAlex Gilを引き合わせたことです。彼はそのときあのすばらしい“Around DH in 80 Days”プロジェクトを開始したばかりでした。そして3つ目が、INKEが企画した2012年12月ハバナでのBOFミーティングでした。

ハバナでのミーティングは、先ほど述べた2つの出来事の延長線上にあったということと、GO::DHのメンバーの枠を広げることに一役買ったということの2つの理由から重要なものだったと言えます。ハバナでのミーティング以前では、GO::DHのメンバーはTerrasのインフォグラフィックスにあった高所得経済の国の研究者ばかりでしたので。

GO::DHのメンバーをその高所得経済国以外に広げることにはやはり難しさを感じていました。私たちが所属していたデジタルヒューマニティーズの主要メーリングリストや組織も、デジタルヒューマニティーズがグローバルになるにしたがって同じ問題を抱えていました。つまり、いつもの地域以外からの参加者が得られないということであり、それは潜在的な参加者と出会うことすら難しいということを意味するものでした。キューバの研究者らとのミーティングによって、私たちはラテンアメリカにあるまったくもって新しいネットワークと出会うことができましたし、そのネットワークのコンセプトに関心を持つその他の研究者に対してモデルを提供することができました。

しかし、おそらくもっとも重要なことは、キューバの研究者が私たちのもともとのコンセプトに重要な要素を付け加えてくれたことでした。キューバでのミーティング以前にADHOへ提案していた特別部会の設立趣意書の中身と、今のGO::DHのウェブサイトにあるプロジェクトの説明を比べてみると、強調している箇所がはっきりと異なることがわかるでしょう。当初の文書にはまず“我々”と“彼(女)ら”とあります。中所得・低所得経済の国の研究者らは、高所得経済の国で行われているようなデジタルヒューマニティーズの活動になぜ加わらないのかと、高所得経済の国の視点からそのような問いを投げかけるような内容でした。(ほぼ高所得経済の国で働く研究者で構成された組織に向けたものだったので、それは確かに妥当なものだったのですが。)

ですが、今のプロジェクトの説明書きは、しっかりと“我々”に焦点を合わせたものになっています。それは、グローバルネットワークというものが支援なのではなく、いかに私たちが他者と互いに共有し、教え、そして他者から学ばねばならないかを率直に記したものです。(ADHOへの最初の提案がまさにこの変化を反映するものであったことははっきりと述べておきたいと思います。)

これは、INKEが企画したミーティングの一部としての、キューバで開催されたワークショップの直接の結果です。ワークショップで得たもっとも重要なことの一つは、私たちの経験がとてもシンボリックなものであったということ、すなわち、多くの問題とアプローチを私たちは共有していたこと、そしてどこが私たちの経験や機会と異なっているのかを理解できるほどに、私たちが豊かであったことに自分で気付いたということにありました。

これがどのように機能しているのかの例として、GO::DHの「ミニマリスト・コンピューティング」ワーキンググループが挙げられます。このグループは、とても面白いトピックを研究するグループですが、(キューバでのミーティングに参加した高所得経済国からの研究者はもとよりキューバ人も含め)多くのメンバーがキューバのインフラの小さな欠点としてまずは見なしてしまったこと、例えば回線がないことや古いコンピュータソフトのままといったことには触れません。

しかし議論の中で、そのようなインフラの問題は、デジタルヒューマニティーズのグローバルな研究コミュニティにとって役立つ知識を与えてくれるものだと、私たちは気付き始めました。その知識とは、デジタル文化財への最大限に広げたアクセスをどうやって保証するのか、というものです。言葉を換えれば、北米や西欧圏のデジタルヒューマニティーズの研究者が、受け手が最新のテクノロジーと最もしっかりとしたインフラからアクセスしているものだと思い込みがちだということです。

そして私たちはそのようなことが中・低所得経済国における現実ではないということだけでなく、高所得経済国においてすら、文化研究の成果を享受する多くの人の現状ではないということを忘れてしまっているのです。(例えば、最近私はスコットランドの田舎のとある教区にあるアングロ・サクソンの石の十字架を3D化する研究をしてきました。その時、住民の幾人かは最新のコンピュータ設備を利用することができていましたが、その一方で、コンピュータを持っていない人や、90年代後半の古いコンピュータしか持っていない人もいました。)

ただ、付け加えておきたいのは、利用可能なインフラがないことが何か望ましいことを意味するものだとは私は思っていません。例えば、高所得経済国の研究者が、最新のテクノロジーにアクセスするのに時間のかかるような地域において、基本的なツールへのアクセスを共有したり、プロジェクトを支援したりすることができるのは明らかです。ですがその様な事態が、経験の差異を共有することが可能だということが、いかに私たち全員の研究課題を豊かにするものであるのかを示すものだということです。

プリエーゴ:答えにくい質問でしょうが、追加でお尋ねします。お金の問題に関することなのですが、文化を越えて議論する際には重要な問題だと思います。GO::DHの資金はどこから出ているのでしょうか?経験を共有するだけでもしばしば当然のように特殊な設備が必要となりますし、またそれをするための時間もかかります。さらにはどんなに基礎的なものでも適切なツールが必要となってくるでしょう。(世界のデジタルヒューマニティーズの)研究協力者との間で、財政基盤や置かれている位置づけが大きく異なっている中で、今後、それらの方々との協同を持続していくためには、どうしたらよいのでしょうか?

オドンネル:GO::DHの活動はすべて助成で賄われており、それは2つの方法からです。

レスブリッジ大学の研究所副所長の研究室からいくばくか頂いたものが一つ目であり、もっとも明らかなものです。ハンブルクでのDH2012 のミーティングの後、私は大学長(Mike Mahon)と研究所副所長(Dan Weeks)、研究所副所長代理(Lesley Brown)、国際化問題臨時担当(Alison Nussbaumer) へメールを送り、ミーティングの内容を興奮気味に伝えて、このプロジェクトのための議論の場を提案しました。

Mahon学長はレスブリッジ大学に着任してから比較的日が浅く、また組織の重要課題に国際化を掲げていました。そして、人文学への注目度を高める方法について常に模索していました。そのため私は、このGO::DHプロジェクトが学長らの興味を引くかもしれないと思ったのです。私はNussbaumer国際化問題臨時担当に対して、GO:DHのこれまでの取り組みと今後かかるであろう費用について伝えました。結果、Nussbaumerと研究所副所長の Weeks、そして研究所所長代理のLesley Brownが、Canadian Social Science and Humanities Research Council (SSHRC)から研究所に頂いている資金の中から少額(5,000ドル)を融通してくれることになりました。

しかし、色々な点で、GO::DHの継続のための財源となったのはボランティアの協力です。これについては、私たちがしばしばデジタルヒューマニティーズの価値を過小評価していることだと思います。レスブリッジ大学は、当初、私にGO::DHの運営資金として5,000ドルを支援してくれましたが、そのお金は実際のところ、帯に短したすきに流しというもので、必要としている分に比べて少なすぎるかあるいは多すぎるかのどちらかなのです。もしGO::DHを毎日運営すべく誰かを雇おうとしたならその金額では全然足りませんし、一方で、今のようにメンバーにボランティアベースで運営協力をお願いするのであれば多すぎます。もし今のところ給料を支払ってないのであれば、(そんな余裕もないのですが、)私たちは管理上何にお金を使えばよいのでしょうか?

今GO::DHが借金をせずに済んでいるのは、お金を出してくださっている皆さんの大きな熱意と意思です。それが過去何度も役立ってきたのを知っていますので、私はこれがデジタルヒューマニティーズにおいて低く評価されているとお伝えしたいです。例えばText Encoding Initiative (TEI)は、年間80ドルから10万ドルの間の予算で、会計、システムサポート、旅費等を賄っているのですから。

けれども、本来の意味でTEIの活動の成果というものは、委員会や大会組織チーム、“Journal of the TEI”の編集者がなしえたことにあります。そしてそれは、1年で“たった”10万ドルで買えるようなものではない、価値あるものなのです。私はTEIの委員長であったとき、教育に関するものとはいえ、皆さんの経験と費やした時間を考えると、どれほど少なく見積もっても、委員会には数千万ドルの価値があるものだとよく言っていました。(その時は、TEIガイドラインP5の刊行が近付くにつれ委員会の業務量が膨大なものとなった年でしたので、おそらく数千万ドルでは済まないものだったと思います。)

他の組織でもこれと同様です。Digital Medievalistは開始当初の立ち上げに25,000ドルの助成をもらいましたが、その後の年間予算はゼロです。Digital Medievalistに取り組んでいる人は、そのプロジェクトが重要で、関わるのが面白いと思っているから、そうしているのです。Digital Classicistもほぼ同じような形で運営されています。

そのような組織で重要なのは、それぞれに備わっている価値を十分に引き出すことにあります。つまり、一緒に働いているボランティアの協力者とその組織の双方が得をする、その組織が生み出せる価値という意味です。これは、その活動内容を出版することで可能です。履歴書に書けるようなリーダーシップや何かの経験を得られるような場面を提供したり、その人の専門分野に影響を与えたり、あるいは知名度を上げることができたりするような機会を作ったりすることということです。

同じことは協力機関にも当てはまります。そのような機関は、しばしばお金の代わりに物を提供することに意義があると考えています。ですので、あなたの活動を成果として刊行したり、より広い領域において活動の影響を紹介したり、あるいは単純に仕事の依頼をしてくれたりします。

物事が回り始めると、私が今までGO::DHに対して思っていたように、これらの隠れた支援で運営し、もらったお金で別のクリエイティブなことができるのです。GO::DHでは、私たちには実のところ運営にお金は必要ないので、レスブリッジ大学からの資金をイノベーティブな研究奨学金プログラムの支援で使うことができます。

その詳細は詰める必要がありますが、基本的には、秘書がやるような仕事にお金を使う代わりに、グローバルコミュニティという文脈におけるデジタルヒューマニティーズの色々な面に着目した研究プロジェクトについての企画コンペを考えています。その時に、最終的なプロジェクトに備えるべく、レスブリッジ大学から頂いたお金を、その受賞プロジェクトに贈ろうと考えています。

最後に、私はGO::DHはおそらくはもっとお金が必要になると思っています。ですが、GO::DHをデジタルヒューマニティーズにかける協力者の熱意と自らの作り出す価値に基づいて運営していく限りにおいては、普通は寄附では得られないようなこと、つまり旅費や会議運営費等に、今あるお金使うことができます。

あなたの質問の最後の部分、機会の実行性と不均衡についてです。これもまたGO::DHが理解している根本にあるもので、お金へのアクセスが経験の差異だとするものです。高所得経済国においては、様々な助成を受ける機会がありますが、そのような機会は高所得経済国だけに限られたものではありません。特に国際的な企業の慈善団体のようなところでは多くの助成プログラムがあり、そういうところでは中所得あるいは低所得経済国の研究者限定であったり、そのような国の研究者の参加が必要であったりします。

私にとってのGO::DHの最初の1年の目標の一つが、この種の助成を見つけて資金を得ることで、仕組みを作り上げることです。そしてもう一度言えば、これは、私たちよりももっと大きなものを作るために、経験の多様性を一つにまとめるということです。例えば私は国の助成機関や国連その他の国際団体、国際交流に関心のある多くの団体等の様々なタイプの助成団体と接触した経験や成功歴のある人々を招いて、助成に関するワーキンググループを作りたいと考えています。私たちは、現在の研究においても、また助成の探すという点においても、地域や経済格差を超えて協同できる道を探すことで、互いを支援することができるようになるだろうと考えています。

プリエーゴ:ぜひうまくいきますように。プロジェクトはそれだけの価値があると思います。私には持続性という点が重要な問題だと感じました。助成期間が終わると、価値のあるプロジェクトが失われてしまい、そのようなプロジェクトが作ったリソースもメンテナンスが行われなくなってしまうのが実に残念ですので。
 さて最後の質問ですが、人文学のアドヴォカシーという点において、グローバルなデジタルヒューマニティーズの役割をどのようにお考えでしょうか?別の言い方をすれば、世界のデジタルヒューマニティーズは、知の一般的な領域としての人文学の重要性を伝えるために、何ができるでしょうか?

オドンネル:実に興味深い質問だと思います。ある意味で、私がGO::DHを展開する上で考えている私の役割というものは、その大きな問いから来ているものですので。

長年、私の大学の学部には、図書館での購入用に、文芸批評に関する年間タイトルリストがインドから届いていました。これがインドのとある出版社からなのか、出版社団体から来ていたのかは覚えていないのですが、重要なのはインドには文学について、つまり文学に対してポストコロニアル的なアプローチをした本、私たちがインドの「特殊性」として思い描くようなものを(すなわち、私たちがカナダの大学の特殊性をイメージした場合に頭に浮かぶようなカナダ文学に関する本をということです)表わしたものが(特に)ないということです。かわりに、インド文学、アフリカ文学、ヴィクトリア朝の文学、中世文学などの文学研究の概説的な本はありました。

いつも気になっていたのは、私たちがいったいどれだけこのリストから注文するだろうかということでした(もしあればですが)。私の専門領域に関して言えば、実際に聞いたことのある本を出した研究者はほとんどいないのでは、と思います。私は、グローバルデジタルヒューマニティーズの真実として上で述べたような、ネットワーク間のギャップと同じようなことが、もっと伝統的な人文学のテーマにも存在するのではないかと、長い間考えていました。北米の研究者は、インドの学術研究における巨大な成果には全然触れてこなかったと思います。それというのも、インド人の研究者と同じネットワークや学会、ジャーナルには関わってこなかったからです(もちろん逆もまたそうだったからです)。

デジタルヒューマニティーズとは、このギャップを何とかする方法を提供するものだと考えています。デジタルヒューマニティーズは、人を互いに遠ざけるような専門のスキルとネットワークを超えて共有する、領域横断的なスキルを重視するものだからです。これはつまり、研究者として、教育者として、そして学生として、それぞれの様々な側面を人々が容易に共有できるようにするものだと思います。もし私たちが初めにその共有している領域横断的なスキルと興味関心を通じて互いを紹介できるのであれば、ですが。例えば先ほどのケースで言えば、トロロープに関するインドでの研究がカナダの学界に対して与える潜在的な影響力は、GO::DHのような組織を通じてカナダの研究者がインドの研究状況を知ればもっと高まるだろう、ということです。(ただ、私はカナダの研究者を高所得経済国に住んでいるものと考えたのでそのように述べたということは付け加えておきたいと思います。また、接触が増えるということは、例えばインドにおいてカナダのトロロープ研究者が知られるようになるということにも同じ様に影響を与えるものであってほしいと思います。)

この実例について、前からあるモデルでいうと、再度登場しますが、Digital Medievalistを挙げられます。中世研究におけるネットワーク間のギャップの原因は、(第一に)所得格差にあるというわけではなく、その「研究領域」の広さゆえに生じることになります。中世研究は様々な言語が関わり、ヨーロッパや中東、北アフリカでの1000年間をカバーするもので、また、個々の専門の研究がしばしば極めて狭いものとみなされる研究領域です。その研究領域が、互いに会話したことのない人々で多数のグループを形成しているのです。例えば私はアングロサクソンの文学研究者ですが、中世後期のジョージ王朝の貨幣学の専門家と会う機会などほとんどないわけです。それが、たとえ領域横断的な共通の問題へのアプローチや技術といった観点で互いに学ぶものがあったとしても、です。

Digital Medievalistは、タコツボ化を進行させる中世研究者としての専門性よりも、情報技術を活用する中世研究者の共有する分野横断的な問題関心にフォーカスし、このギャップを超える方法として立ち上げられたものでした。その結果が、重鎮としてあるいは学術雑誌で親しく一緒に仕事をしている多くの研究者の集うコミュニティとなりました。スペイン研究者とドイツ研究者とアングロサクソン研究者が一緒に働くといったように、伝統的な中世研究であれば決して互いにコンタクトを取ろうとしなかったような研究領域に属する研究者達が集うコミュニティになったのです。

これまで、伝統的な人文学が分野や空間、言語の壁を超えるために、デジタルヒューマニティーズがどのような支援が可能なのかについて語ってきました。そして、このことはあらゆるアドヴォカシーにとって、必要な最初の一歩だと思うのです。私は人文学が文化や歴史、言語といった特徴に立脚しているために、自然科学や社会科学と比べてアドヴォカシーという点では不利な立場にあると思っています。

しかし、あなたの質問にもありましたが、私はデジタルヒューマニティーズには人文学の意義を伝えるためのアドヴォカシーにおいて、とても重要な役割があるとも思うのです。既に述べましたが、人文学研究におけるデジタルなるものの登場は、我々の専門分野の関連性を保証するものです。いわばコンピュータは人文学にとってのキラーアプリなのです。

ですがそのことは、必ずしもコンピュータが人文学研究の本質を変えるものだというわけではないと思います。コンピュータは人文学に新しいアプローチと問いをもたらしてくれているものですが、伝統的な研究上の問いやアプローチをサポートする上でも同じように重要なものだと指摘しておくことも重要です。それは、むしろコンピュータが、他分野ではできない方法で、急を要する社会的な問いに答える機会を人文学に与えるものであり、また学生に対しては、伝統的な研究で得られる人文学のスキルを、現代社会において意義のある方法で活用できるようにするものだからです。

しばしば指摘しているように、一般的にインターネットは、また特にソーシャルウェブは、最先端の人文学や社会科学に関するものよりも、最先端の技術に関するものがはるかに少ないものです。この背景にある、基盤としてのインフラ―その多くは比較的安定した技術ですが―ではなく、それが許すコミュニケーションや自己組織化、文化の伝播の新たな方法が実に面白いと思います。10代の若者のソーシャルネットワークがFacebookからどのような影響を受けたのかは、技術者ではなく社会学者にとっての問いです。ブログを書いたりすることが書くという行為にどのような影響を与えているのかは、コンピュータサイエンスではなく、レトリックや言語学、文献史家への問いです。ソーシャルメディアが学術・科学コミュニケーションのもつゲートキーピングとしての仕組みにどのような影響を与えているのかは、科学史家にとっての問いであって、インフォメーションサイエンティストにとってのものではありません。

同じように、クリティカルに考えて上手に自己表現できるという、あまりに大げさに言われている学生たちの能力も、彼らがこの現実のネットワーク化され、コンピュータナイズされた世界の中でその能力を使う方法を教わらなかったら、本来備わっている価値以上のものとはならないのです。デジタルヒューマニティーズの教育、それも特に実際の技術的な内容を教えるようなものは、人文学を修めた学生が卒業後の経済・社会生活にちゃんと溶け込めるようになるための道を提供するものです。もちろんそれは、価値ある職業を見つけることができたり、市民として活動できたりする能力という意味です。

最後になりましたが、私はデジタルヒューマニティーズが人文学のアドヴォカシーで極めて重要な役割を担うものだと考えています。その理由は、デジタルヒューマニティーズが比較的狭くまた独立した文化・歴史研究を一つにまとめていくような領域横断的な学問だからです。また、教育と研究のために(概して)社会が私たちにお金を支払っている社会的関連性については、私たちがもっと声高に主張することを許す実践性と拡張性とを、人文学に与えるものだからでもあります。

出典:
http://4humanities.org/2013/05/interview-daniel-o-donnell/